「版画19620630」 1962年6月30日

 

上の作品の原画は、下のスライドショウ作品の左端から2/3の正方形部分です。

 
 私が、第一回「中部国展」に出品した「版画」(正しくは、版画の原版=「版画の素」)の内の一枚です。  著名な版画作家や著名な美術評論家に銅版画(インタリオ)だと錯覚させてしまいましたが、 実際の版の材質は、銅板ではなく、亜鉛板でも、これらの代用品のプラスチック板でも、特殊なコーティングを施した厚紙でもありませんでした。   トランプに使うカード紙が版の材質です。  従って、木版、銅版、石版という従来の版の材質に拘る分類法で言えば、これは紙版です。 他に、粘性の強い看板用水彩塗料、そして、水、テレピン油、ラッカーシンナーが、この版画を作るための「レシピ」でした。
 
 デカルコマニー技法に、水と油との反発作用を「調味料」として加えたことで、目的以上に良い抽象画像が生まれました。
 これを「版画の素」にして、登場したばかりの、大型「普通紙コピー機」を使って、雁皮紙に複写しました。
 
 この複写された雁皮紙そのままでは、展示にも、保存にも、問題が発生します。 なので、・・・、「雁皮紙刷り銅版画」の仕上げ方で「版画らしく」しました。 この結果、「プレートマーク」が付いて、銅版画と全く見分けが付かなくなりました。 この結果に着目して、「版画」と「勝手に」みなして「第一回の中部国展」に応募したのです。
 
 第一回「中部国展」は、前年、私の姉・岩田和子が絵画部会員に推挙されたことで、名古屋地区の出品者を増やす目的で設立されました。  当時、名古屋地区には、鈴木幹二さん、佐藤宏さんが会友でいましたが、版画の会員がいなかったので、また、このお二人が、共に「木版画家」だったことも理由になって、敢えて「枯れ木も山の賑わい」程度の気持ちで、 それ以上に、初代名古屋事務所として奔走している姉を助ける目的と、 「姉には絶対に審査されたくない」との気持ちとが交錯する中で、 「新たな平面美術創作」 との心構えを持って、応募作品を制作しました。
 
 しかしながら、この、版画の会員不在が理由になって、 結局、「平面美術」として、 絵画と区別されることなく受け付けられました。 姉は、私の応募作品については「何も発言しなかった」と言っていましたが、他の審査に携わった方々が、私が岩田和子の弟であることを知っていらっしゃったことは、間違いなく事実ですし、  姉は、既に、この五、六年前から、国展・名古屋巡回展の「実質的な事務所」として動いていましたから、これが審査に影響を与えたかも知れません。 新人賞を貰いました。 
 
 第一回中部国展は、審査に重みを増すために、 当時、国画・名古屋の要であった杉本健吉先生の要請で、 杉本先生の朋友の四人の先生が招かれました。 版画の審査のためには、斉藤清先生が招かれました。 
 
 この、斉藤先生が、私の応募作品を「嘘偽り無い銅版画」として高く評価して下さったので、 杉本先生も、 杉本先生の他の朋友の先生方、 殊に親しくされていた須田刻太先生や、  博学を買われて、ラジオ時代のNHKのクイズ番組「二十の扉」のレギュラーでもあった宮田重雄先生(名古屋出身)も、  この方たちの熱中振りに引き込まれてしまった染色作家の大物の芹沢圭介先生も、 これを「新手の版種」としては見抜けませんでした。
 
 その後、斉藤清先生から、私のこの作品のことを伝え聞かれた、春陽会の銅版画の大物、駒井哲郎氏、深沢幸雄氏の要請で、 このお二人の先生に、 額から外し紙だけの状態にして見て戴きました。
 
 にも拘わらず、お二人とも、完全に銅版画と見なされました。  それ故、敢えて、「実は・・・」と言いませんでした。
 
 それどころか、「銅版プレスも、元は印刷機なんだ。 馬簾も、江戸時代では印刷道具なんだ」と思うことにしました。
 
 この、「元を正せば、銅版プレスも、馬簾も、印刷道具」という考え方が、今もって強烈に残っているので、  私は、コンピュータ版の版画を、(それに対しても、「CG追い描き(ポストCGドロウ=Post Drawing)版画」と「算法(アルゴリズム)版画」との区別さえ明快に着けて、 45年以上も経った今もなお頑張っているのです。
 

1966年9月、この年の前半の、私の日本や欧米における美術活動の幾つかを偶然見てくれた、ニューヨークの銀行(現JCモルガン・チェース)経営者ブレークモア氏から突然電話を貰って、 ニューヨークで一大個展を開くチャンスに恵まれました! なおかつ、この個展が、アメリカの視聴覚教育の権威に高く評価され、 この紹介によって、1970年〜90年代のアメリカの視聴覚系産業界を担ったの研究開発者と深く親交を結ぶことが出来ました。 上掲の4画像のスライドショウの内、カーラー化された3枚の画像は、この時代に誕生して、現在は世界的メジャーソフトに育った様々なCGソフトの骨格(基盤ソフト)を構築するための試行錯誤時に得たバラエティーのレプリカです。 この視聴覚系ソフトの研究開発に際して、余りにも多くの「美術家的注文」に応え切れなくなった数理工系の仲間の勧めで、十代後半、言語学者・服部四郎氏 の紹介で会得した電子計算機時代のプログラミングノウハウを駆使した結果、情報解析可視化処理や暗号認証処理にまで行き着いてしまうという落語(ミイラ採りがミイラになった)を演じてしまいましたが・・・。
 
中部国展の公式ホームページのトップへ戻る
第1回中部国展の記録へ戻る
中部国展の歴史の「いわた・きよし」へ戻る
いわた・きよしの中部国展出品履歴へ戻る
いわた・きよしの2008年国展出品作「MicroMap2008」へ戻る
いわた・きよしの2008年国展出品作「MicroMap2008」の部分セレクト画面へ戻る
「いわた・きよしのホームページへようこそ」のトップへ戻る
「いわた・きよしのアルゴルアート」(動画・静止画)の目次へ
情報解析可視化処理については、こちらです
暗号認証処理(ITSS、ExpIT)については、こちらです
(株)イソップ・よしてっくす事業部のホームページは、こちらです
(株)イソップの公式ホームページはこちらです
 
 
当書類の内容を、著者に断り無くコピーしないで下さい。
Copyright (C)1990-2008, Kiyoshi IWATA & YoshiTex AESOP, All rights reserved.
 
現在