拓学(自ら開拓して行く学)について

株式会社 イソップ 代表取締役  岩田 清

1977年1月11日 初稿: 2009年5月28日第27次改訂

 「拓学」という言葉を最初に考え付いたのは、1950年8月17日、私の満10歳の誕生日のことです。『通常は「集団学」である「小学校」が、 個々の生徒に「独学」させる機会である「夏休み」さえも、開放されるのは先生だけで、生徒は「宿題」という形で締め付けられるということは、教科書に書かれていることを上手に「受け売り」するための「おさらい」でしかないのでは?』との疑問が日ごとに強まって、「このまま大人になっていいのだろうか?」との思いが爆発した結果、 自ら考えて、そこに疑問が涌けば「まず、自分なりに考えて自分の答えを見出そう」と閃いたのです。 この答えが正しいか間違っているかを確かめるためには、いろいろな辞書や書籍を隅から隅まで調べ上げるのが本当の「独学」で、教科書に書かれていることを「丸写し」するだけであるならば、 これは先生を楽させるだけの「必要悪」ではないかと思ってしまったのです。 この宿題に対する疑問と「拓学」という思い付きの言葉に対して「感動するなァ!」と言って下さださったのは、詩人であり、土地に根付いた政治家でもあった高橋玄一郎氏でした。

 それから、既に約50年の歳月が経ちました。

 ですが・・・、「拓学」という言葉は、 様々な「ひと・もの・こと・とき・ところ」(=森羅万象)に対して、「見方・考え方・行い(=対処の仕方)」において、絶え間なく(=切れ目無く=常時=この結果、半寝半起きの状況に陥っても)真実を求めて、大激動して来た私にとって、今後も絶対に変わることのない私の「生き様・生かされ様」の指針です。

 振り返れば、この50年間、私の「生き様」は、本当に激変の連続でした。 しかしながら、「この激変が有ったからこそ、今の私が、ここに在る」と思っています。

  マリアンヌと出会い、 アンドレ・マルロー氏ジャン・コクトー氏マックス・エルンスト氏と出会ったこと北園克衛氏西脇順三郎氏らと出会って「新進気鋭の詩人」として期待されたこと、

 殊に、 服部四郎氏との出会いは、紙カード入出力、真空管も使われていた電子計算機と出会いに繋がり、これを駆使し切ったことが、純粋美術から工芸美術の合理的な産業化、純粋数学から従来暗号を上位互換可能な情報セキュリティの具現化に向かって、大きな社会貢献を成し遂げていると確信しています。

  鈴木大拙師や、京都、奈良の著名な寺院の重鎮との出会いは、私の父のお陰です。 私がよく口にする「先生と呼ばれるほど利口でもなければ莫迦でもない」との言葉は、これら宗教界の方々のお陰から出ています。この意味で、我が愛妻・好枝が言う「いわた先生」とは、中国語で「様」の意味なのだと理解して、これについて殊更波風を立てていません。

 拓学とは、一人で、こつこつ勉学するところは独学に似ていますが・・・、

 他人が踏み固めた道を気楽に歩むのではなく、受け売り・知ったか振りをするのではなく、道なきところに自から信ずる道を積極的に開拓する学というところで、独学とは決定的な違いが有ります。

 

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